代表取締役 善養寺 幸子

株式会社エコエナジーラボ 代表取締役 善養寺 幸子

代表取締役 善養寺 幸子

株式会社エコエナジーラボ
設立 2006年
事業内容
  • 環境,建築、都市計画、まちづくりに関する施策、制度の調査、企画サポート
  • 環境ビジネス、コミュニティビジネス推進のため施設等、企画、サポート
  • 環境教育の推進、実施のサポート
  • 環境教育のプログラム作成、アドバイス
会社HP http://www.eco-elab.com/

ECOな社会を創る総合コンサルティング会社、株式会社エコエナジーラボ。
「日本に、人にも環境にも優しい理想の街をつくりたい」
新しい社会システムづくりを目指す、善養寺社長にインタビュー!

「建築幼い頃培われた反骨精神がソーシャルビジネスへの原動力」

私はアウトサイダーな生き方をしてきたように思います。
東京の下町で育ち、親が職人だった影響もあってか、手仕事が好きで、
子供の頃は服飾デザイナーになりたい夢見る少女でした。
周りの大人からは
「服飾デザイナーなんて、簡単になれないよ。お前なんて無理無理。」と言われました。
でも、言われれば言われるほど、子供心に
『なっている人がいるんだから、自分の可能性はゼロじゃない。絶対なってやる!』と心に誓うのでした。

だから、自分は少しでも早くやりたいことがしたくて、
中卒で服飾専門学校に行きたいと思ったのですが、これには両親が猛反対。
取りあえず高校を出てからにしてくれと懇願され、ならば、服飾に関わるジュエリーなど
装飾品をつくる工芸系の工業高校へ行くと決め、進路希望を出しました。

今度は中学校の先生が猛反発。
なぜ普通科に行ける成績なのに、なぜ女の子なのに工業科なのかと責められました。
「進学校の我が校から、女子が工業高校に進学するなんて、学校始まって以来の恥。」
と言われ、当時、母も散々担任教師から嫌みを言われました。

成績に合わせて、できるだけ良い高校に行き、そして良い大学、
良い会社に入ることが人生の幸せなんだという、教師の言い分を私には理解できませんでした。
自分の目標、夢の実現のために、進む道を選ぶべきであって、他の人がこっちに行くからとか、
歴代そうだからとか、「そんなの自分と関係ないじゃん。」と思いました。
結果的には自分の意志を貫きました。

「遠回りしても結果は同じ。経験を生かすか殺すかは自分次第。」 

高校に進んでから、建築士という職業を知り、それを目指しました。
工芸系の工業高校から大学の工学部に進学することは授業のレベルからほぼ不可能でした。
専門学校も我が家の経済状態では困難で、ならば、働きながら仕事を身につければいい、
大学だけが道じゃないと何とか建築の関係する会社に潜り込んで働かせて貰いました。
紆余曲折ありましたが、今は一級建築士で建築家と呼ばれる立場になり、
10代の頃の夢は実現しました。

今は、講演などで略歴を求められて大学欄から始まっていたりすると、
大学行っとけば良かったかな、なんて苦笑することもありますが
これも個性であり、本当に必要なら今からでも行けばよいわけで
工業高校の進学を選んだ中学生の私を、大人になった私は今でも
『君の考えは正しい。頑張れ。』と応援しています。

どんなルートから進もうが、結果が同じなら、近道でも遠回りでもどっちでも良いわけです。
むしろ、遠回りしたならしたなりに、近道の人には経験できない経験を積むわけです。
後は、その経験を生かすか殺すかは自分次第でしょ。
いつも苦難が生じて折れそうになると、自分は神様に学習させられている、
次の大きなミッションのために、ここで問題解決能力を養わされているのだ、
超えたら大きなご褒美があるぞと考えるようにしています。
今までの経験では、確実にありますよ。

「一級建築士になり、エコハウスを建てる」

高校を卒業後、働きながら夜間の職業技術専門学校に通い、構造設計事務所に就職しました。
バブル期は昼夜なく働き、そんな丁稚奉公の4年間は大変勉強となりました。
バブルがはじけて意匠設計事務所に転職し、水があわなくてすぐに退職。
その後、知り合いから設計の依頼を頂き、二級建築士事務所で独立。
一棟入魂で仕事をしました。
自分に頼んでくれたお客様を裏切らないために必死でした。
一棟仕事が終わるとまた一棟依頼が来るという一つ一つ丁寧に仕事をするのが数年続き、
4階建て住宅の依頼が来て、必要に迫られ一級建築士の免許を取りました。

一級建築士の免許を取って、もうそれ以上の資格はないわけですから、
気を引き締め、ポリシーを持って仕事をしていかなければいけないと改めて思いました。
一級建築士事務所を開設するにあたり、
『環境』→『有機』→『オーガニック』=『エコ』というキーワードを掲げました。

当時、建築業界仲間からは「エコハウス?何それ?そんなの売れっこないよ。」と言われました。
しかし、国際的には森林破壊や砂漠化、地球温暖化など環境問題の議論が多くなってきていました。
誰が何と言おうが、これからは環境に配慮したライフスタイルが求められる時代へと変化すると確信し、
エコハウスに特化した設計事務所にしようと思って、
平成10年、一級建築士事務所オーガニックテーブルを開設しました。

平成11年、自宅兼事務所として都市型環境共生実験住宅「アクティブ・エコ住宅」を新築し、
いくつも賞を頂きました。
ところが、翌年、連続放火事件に巻き込まれ、事務所を全焼。
犯人は捕まらず、近所に平然と暮らしていると思うと、こんなことで負けてたまるか、
苦難なんかにへこたれない姿を見せつけたくて、建物を再生し、
オーガニックテーブル株式会社として法人化しました。
この火災をきっかけに、様々な建築基準法の不備や問題を知り、
行政への提言や社会活動を積極的に行うようになりました。

「エコハウスから、エコな社会システム創りを!」

平成15年に環境省へ出した、古い校舎を教材にエコ改修して環境教育に使うという政策提言が
優秀提言として採用され、「学校エコ改修と環境教育事業」のサポート業務を担うこととなり、
エコハウスから、エコスクールや環境教育という人づくりのコンサルティング業務へも
仕事の幅を広げました。
支援した学校は全国で18校、平成17年度モデル校のCO2排出削減実績は
平均で25%という成果をあげています。

そして、平成18年に建築設計事務所と別に環境総合コンサルティング業務を行う
株式会社エコエナジーラボを設立しました。
ヒートアイランド抑制のクールシティ推進研究会、ECOうちECOまちアカデミーなど、
産官学での学習会などを開催してきました。

平成22年を見据え、環境、建築、都市、社会システム、コミュニティビジネスなど
地域環境を総合的に考え、まちづくりを支援する“タウンインキュベーション事業”を始動します。

私は、人や社会の役に立ち、喜ばれる仕事をしたいと独立し、ずっと、その思いで仕事を続けてきました。
近年、様々な企業がCSR活動を行っていますが、我が社の自慢は業務全てがCSRであること。
それを誇りに、これからも頑張っていきたいと思っています。

今後のビジョン

1990年比-25%、地球温暖化防止の低炭素社会を実現しながらも、
我慢ではなく人間らしく心地よく健やかで安心して暮らせる環境をつくるには、
既製の枠を超えた取組みが必要です。
暮らしも産業も社会システムも大きく転換しなければならない時期に来ています。
それをできるだけ早く具体化するためにも、
変わらなきゃ、変えなきゃという人々の意識が重要となるでしょう。
個々のお客様を説得し、エコに特化した住宅設計をしてきた経験と、
全国での住民参加型の学校エコ改修事業をサポートしてきた経験を生かし、
今後は住宅だけでなく、街全体がエコになる仕組みづくり
そういった社会システムづくりに取り組んでいきたいと思っています。

学生の皆様へ

雇用する社長の立場で言わせていただければ、学歴も学名も信用していません。
大事なことは、本人の生き方も含めた志の高さと、吸収して発展させようという仕事への熱意と、
良識のある人間性です。
学校教育なんて仕事でそのまま使えるわけではないし、
働きながらもずっと学習し続けなければならないのですから、就職しても学ぶ意欲があるかが気になります。
そして、ちょっとやそっとじゃ諦めない粘り強い根性が何よりも重要です。

今は不況で就職先も少なく、大変なことも多いと思います。
しかし、こんな時だからこそ、自分の夢を見つめ直して長いスタンスで自分の人生を捉え、
前向きに考えてみてください。
好きなことから初めて、なんでも没頭してやって、自分のものになるまでやっていれば
それなりに自分の道が開けてきます。
諦めることなく努力して、どんな苦境も「これは与えられた勉強のチャンス」と捉え、
ゲームをクリアするくらいに楽しんで掘り下げてきた人が、
好きなことを自分の道に出来ているのです。
たとえ最初は思わぬ軽作業であっても、腐らないで、その中で光ってみる!
自分は役者。
逆境苦にせず使える自分を演じきる。サクセスストーリーはこれから。
そのくらいの前向きな気持ちで、何でも一所懸命やって、自分のポジションを自分で創っていって下さい。